マダムと手下たちが上階へ出向くと、店のエントランスロビーは惨憺たる有様を呈していた。防弾硝子製の扉は粉々に砕け散り、小振りながらも豪奢なシャンデリアは床に墜落して見る影もなくなっていた。瀟洒な曲線を描いていたロビーのカウンターは瓦礫と化し、その下からは黒ずんだ血溜りが噴出している。
「派手にやってくれたじゃないか。軍隊でも襲ってきたのかい?」
 未だ硝煙が濛々と垂れ込めるロビーに立ちながら、マダムは冷静に確認を取った。場合によっては狼藉ものが残っているやも知れぬ―――機械化した脳内で店内に張り巡らせた安全性系統セキュリティシステム存取アクセスしながら、居合わせた者たちの証言を伺う。
「襲撃してきた連中は?」
「二人だそうです。手榴弾が投げ込まれたあと、武装した二人組みが機関銃を乱射、顔つきや容貌などは顔を隠していたため特定は出来ないと―――」
 今しがた入ってきた情報に耳を傾けていたとき、その声が不自然に途切れた。続ける言葉を忘れたからではない。状況報告をしていた男の肩に、鋭い光を放つ奇怪なオブジェが生えていたからである。
 それが高電磁圧ナイフのブレードだと気付く頃には、男の肩と腕は綺麗に寸断されていた。持ち主と永遠の別れを告げる暇さえ与えられなかった男の腕が、血飛沫一つ零さずに硝子破片の散乱した床の上に転がり落ちる。焼け付くような悲鳴が男の口から搾り出されたのと、別の凶影がマダムの背後に落ちかかってきたのはほぼ同時であった。
「なるほど?」
 だがその凶影がマダムの躰を切り裂くことはなかった。弾かれたように振り返ったマダムは、今しがた唸りをあげて襲ってきた白刃を煙管キセルの先で軽く受け流すと、相手の力量を品定めするかのように首をかしげる。
「なかなかいい腕をしているね……」
 その呟きが終わらぬうちに、続けて投擲とうてきされた白刃の残影がマダムの背後を旋回した。あたかも獲物に噛み付く蛇の如く猛ったブレード、一ミリの迷いもなくマダムの左腕を吹っ飛ばす。
 先刻の男と同様、切り口からは一滴の血雫も零れはしない。だがそれはブレードの電磁圧が傷口を焼き尽くしたからではなく、マダムの体に血が通っていないためであった。
 鮮やかにさばかれたマダムの左腕。だがそこには凶器とも呼べる第二の腕が存在していた。喪失した腕先から覗いた黒い筒状の凶器。それが何であるかを相手が悟った時、その切っ先が綿屑同然に破壊された革張りのソファーめがけて幾多もの轟音を放った。
「おイタはいけないよ、坊や」
 義肢化した腕に仕込んだ散弾銃マシンガンが、ソファーの陰から踊り出た小柄な影に向かって容赦なく牙を剥き出した。敵影は降り注ぐ凶弾の驟雨しゅううを潜り抜けるようにして、瓦礫と瓦礫の間を飛び移ってゆく。電脳コンピュータ制御されたマダムの視覚神経が相手の動きを的確に捕捉し、それに連動して銃弾が敵めがけてばら撒かれる。だがどれ一つとして、その影を食い破るものはなかった。
 ―――― 莫迦な!!
 マダムの心中で吐き出された悪態を嘲笑うかのように、その影は鉄屑と化したカウンターを足場にして軽やかに跳躍して見せた。仕込み銃に弾丸を装填したマダムが僅かに狼狽した刹那、流星の如く流れ去ったのは、禍々しき白刃のいななきか。そう自問した時には、相手の眉間を捉えたマダムの躰が不可視の手に絡めとられたように壁に打ち付けられている。
 人体強化したこの身にとっては戯れにも等しい衝撃。だがそれに反して、マダムの躰は壁から離れることすら叶わなかった。
「っ?!」
 見れば両肩、両足、両腕、ついでに脇腹の辺りが壁に串刺しにされているではないか。寸分の狂いもなくマダムの動きを封じた八つの擲箭ちょうさんは、磔刑はりつけにされた彼女を蔑むように鈍く光っていた。
「ぎゃあっ」
 一瞬にして始まり、瞬きとともに終わりを告げた戦闘を呆然と見つめていた手下たちの一人が、雄叫びにも似た悲鳴を上げた。彼の胴体が、血染めの一文字を描いて床に崩れ落ちるのを見届ける暇も無い。音もなく舞い降りてきた敵影は、倒れ臥した男の傍らに立ち尽くしていた手下の喉笛を掻き切ると、背後で後ずさった男が眼を瞬く間にその腕を両断した。返す刃で閃いた白い輝きが、別の男の背中に新しくも深い傷跡を刻み付ける。
 唯一反撃しようと銃を構えた部下の懐めがけて影が飛び込むのと、その部下の両手首が電子研磨されたブレードによって焼き切られたのは同時だった。狙いを失った銃口から、虚しい銃声が木霊する。奇術めいた鮮やかさで投擲された暗器の束が、間合いの外にいた手下どもの眉間や眼窩がんかに突き刺さる頃には、敵影は奥の廊下に向かって一目散に駆け出していた。
「待ちなっ」
 息を吸って吐き出す間にもたらされた一方的な虐殺。男どもの呻き声が、亡者の呪詛のように響くロビーの中で、漸く最後の擲箭を抜き放ったマダムは今再び左腕の銃を構えた。昇降機エレヴェータに向かって駆けてゆく小柄な後ろ姿のもとへ突風の如く肉薄するや、その無防備な背中に銃口を突きつける―――
「なっ?!」
 だがマダムの左腕はいっかな火を噴く気配を見せなかった。何故だ……そう自問したマダムの義眼が、今しがた昇降機エレヴェータに乗り込んだ敵の顔を捉えた。先刻部屋にやって来た少年よりも年若い、あどけない印象の少年である。彼が無邪気に、だが何処か禍々しいものを孕んだ笑みを見せた時、マダムの左腕が肩先から奇麗に輪切りにされ、重苦しい音を立てて床に転がり落ちていった。