夜が、終わろうとしていた。
 僅かに闇を残しつつも、次第に明けてゆく空を見上げる。てんの毛皮に身をくるんだ少女は己の体を抱きしめるように腕を組んだ。真っ白に結露した吐息は、普段のそれよりも瞭かに澄んでいるような気がする。
「局長」
 見知らぬ男に呼ばれて、麗紅リーホンが振り向く。
 まだ年若い男だ。たぶん、第二捜査局あたりにでも新任した、新米警官だろう。
「どうした?」
 新米とは言え、こんな小娘を局長と呼ぶのはどんな気分なのだろう。なぜかしら愉快な気持になりながらも、努めて事務的な口調で答えを返す。
「武器の搬入、終わりました。それから、ウーさんと仰る方が呼んでいました」
「そう、ご苦労様」
 形ばかりに青年をねぎらって、麗紅リーホンが歩き出そうとした時だった。
「待てよ。話がある」
 不意に腕を掴んできたのは、紫霖ツーリンだ。麗紅リーホンは冷めた目線を彼に向けると、
「何だよ。妹君のことか?」
 紫霖ツーリンが神妙な顔で頷いた。麗紅リーホンは内心で舌打ちして、彼と向かい合う。
「―――この屋敷を隈なく探したが、あんたの妹らしい少女は居なかったそうだ」
「そんな……じゃあ、松花ソンファはどこに?」
「―――――烏龍幇ウーロンパンかもな、」
 まったく、今日はやたらと横から声をかけられる日だ。聞き慣れたひょうげた声に半ば怒りにも似た感情を抱きながら、麗紅リーホンが問う。
翡翠フェイツェイ。あんたこいつに余計なこと吹き込むんじゃ……」
「今さっき、ソンが証言したそうだ。その娘なら、先日ハオが連れていた、ってね」
「そんな………」
 予想だにしない展開に、紫霖ツーリンの声が強張った。妹が生きているとわかって喜ぶよりも、困惑が勝った顔を翡翠フェイツェイに向ける。
 翡翠フェイツェイは何事かを考えるように、頭を掻いて視線を明後日の方向へ飛ばした。
「――――そーいや、最近人手が足りねぇんだよな」
「そうそう、年末だから色々と忙しいんだよね?」 
 翡翠フェイツェイの後ろについてきた彗星フォイシンも、意味ありげな相槌を打つ。
「ああみえても、年末の宝蘭堂ほうらんどうは忙しいんだよ?」
「骨董品の処分とか、骨董品の処分とか、骨董品の処分とか。そりゃあもうてんてこ舞いだぜ?」
「だからさ、もしよければ手伝ってくれないかな?」
「―――オレが?」
「どーせ行くとこないんだろ?この際住み込みで働かねぇか?」
 にかっと顔を崩した翡翠フェイツェイに向かって、麗紅リーホンがすかさずその申し出を一蹴した。
「ちょっと待てよ。まだ上の許可も取ってないうちにそんなこと勝手に決めるな」
「あれ?誰にも相談しないで勝手に決めちゃうのは、お互い様でしょ?」
 悪意のない声というのは、時に腹立たしくなるものだと麗紅リーホンは実感した。鳩が豆鉄砲を食らったように眼を見開いたが、その意味するところに気付いてほぞを噛む。彗星フォイシンに痛いところを突かれて、何も言い返せない。
「ね。じゃあ決まりだ!」
 その沈黙を肯定と受け取った彗星フォイシンは、にこやかな顔を紫霖ツーリンに向けた。
「……勝手にすれば?」
 行き場を無くした怒りを込めて麗紅リーホンが呟く。翡翠フェイツェイたちがどういうつもりか知らないが、これでまた頭痛の種が増えてしまったようだ。ただでさえ神経質な顔立ちの統帥が、渋い顔をして厭味を言う姿がありありと目に浮かぶ。麗紅リーホンは不貞腐れたまま、踵を返して瑞杏ルイシンのもとへと歩いて行った。



 紫霖ツーリンは、無感動な視線を空へと投げた。今日一日色々ありすぎて、神経が麻痺しているみたいだ。この先この身が何処へ行こうと、もはやどうでもいい気さえする。
 ただ脳裏を占めるのは、生き別れになった妹のことだけ。
松花ソンファ……」
 久し振りに口にする、妹の名。それだけが、今生きている理由、守らなければならない何かなのかも知れない。
 こんな運命に巻き込まれてしまった自分達を、彼女はなんと思うだろうか?

 






 

 

 暁の世界が、彼らの明日をもたらそうとしている。

 朝焼けに染まった紅の楼閣が、少年を見下ろしていた。

 

 

 



 

第一幕  完