真夜中の螺旋通信 (主題・ラジヲ)








 




  午前二時踏み切りに 望遠鏡を担いでった
          ベルトに結んだラジオ  雨は降らないらしい

                    (song  by  BUMP OF CHIKEN)











 真夜中、という時間が好きだ。
 それはわたしの中で12時から始まる魔法の時間だ。シンデレラの夢が解けてから目を醒ます、わたしだけの時間。
 子供の頃から、皆が眠りにつく夜中に漠然とした憧れを抱いていた。わたしが眠ったあとはどんな世界が待っているんだろうと。草木も眠る丑三つ時には、誰かから聞いたように幽霊やお化けたちが跋扈し、鏡を覗けば自分の死に顔が映ると云う恐ろしい世界が待っているのか。あるいは紅の革表紙に綴られた童話の如く、人形たちがこっそり動き出して束の間の帝國を創っているのだろうか。それとも夜天にちりばめられし星屑たちが、かつて地上にあった魂を思って囁き合っているのだろうか。
 幼い時分にその世界を覗くことは禁忌だった。何故か知らん、夜は子供が息づいていていい時間ではないという暗黙の掟みたいなものがあったのだ。勿論、子供はそんな時間まで起きていられやしないし、母親からさっさと寝ろとどやされると云うのもあったのだが。
 かくして時はめぐり、年齢を経るに連れて、親からの『早く寝ろ』と云う言葉が口に登る回数が減っていった。それに比例するように、中学にあがった頃から12時と云う魔法の時間の境界を越える回数が少しずつ増えていった。
 12時……いや、零時と云うのは不思議な時刻である。明日と云うには早すぎて、だけどもう今日とは呼べない時空の境界線。思えばわたしは、此の今日であって明日である、零時以降のどっちつかずの時間に惹かれていたのだ。『今日』におさらばしていながら『明日』へ属することを拒む、時間と時間の裏露地みたいな場所にするりと潜り込んでしまう午前零時。時計の針は確かに動いているのに、『明日』にも『今日』にも縛られないでいられる。摩訶不思議な真夜中の時間は中学と云う新しい環境に置かれ始めたわたしにとって、ひどく心地よくて魅力のあるものだった。
 そんな折、親戚からラジカセのお下がりをもらった。それはラジヲが聴けるというので、私は早速、銀に煌めくアンテナを張って、注意深くチューニングを施すギタリストさながらに局の周波数を合わせていった。わたしの家は電波が悪いらしく、ニッポン放送や文化放送などの全国ネットの局の番組を聴くことはできなかったが、別にかまわなかった。なにせ中学生の私が好んで聴いていたのは、地元放送局のローカルな番組や、NHKFM の『ラジオ深夜便』だったのだから。
 何ゆえそんなにマイナーと云うか、タクシーの運ちゃんくらいしか聴かないような選択をしたのかと云うと、単に全国ネットで広がる番組には食指が動かなかったからと云う理由に他ならない。有名なタレントや声優が展開する番組もエンターテイメント性が溢れていて確かに面白いのだが、彼らが全国に分布するリスナーにメッセージを配信するという規模の大きさにロマンを感じられなかった。当時の(と云うより今も)わたしは、どうせ語りかけてくれるならば、それが自分を含む少数の人間に向けて発信されたメッセージであって欲しいと云う、かなり番組制作者泣かせな云い分を持っていたわけだ。都会のネヲンと雑踏の渦の中で垂れ流しにされるざわめきではなく、何処か田舎に灯された街灯のような静かで安らかな声を、わたしは望んでいた。
 それは午前零時を過ぎた時間がわたしだけのものであるかのような錯覚と似ていた。此の時間に意識がある人は何処かにいるのに、今わたしを取り巻く空間にはそれが微塵も感じられないという感覚。マイノリティに支えられたささやかな番組に耳を傾け、ひっそりと地球を駆ける電波を拾い上げる。それはまるで、秘密の暗号を見知らぬ誰かと共有しているような気分をわたしにもたらすのだ。
 その所為だろうか、ラジヲと云うものは真夜中に聞いてこそ価値があると思う。わたしだけしか存在しない(と云う錯覚をする)時刻にしか、あの機械は真にときめく言葉を語っては呉れない。わたしの部屋に設置された小さな銀の電波塔は、地球の何処かで発信され、天と地上を駆け巡る不可視の通信を、わたしに届けてくれる。そしてそれは、午前零時と云う魔法の時間を過ぎた頃合に生きる者にしか与えられぬ、とっておきのものでなければならない。全国ネットの騒がしい、真夜中の静寂を破る番組であってはならないのだ。
 思えば私がラジヲと云う機械にそんな憧憬を抱き始めたのは、映画『魔女の宅急便』の影響だったような気がする。主人公のキキが箒にくくりつけた小型の黒いラジヲからは、陽気でありながら夜の静かで優雅なひとときにそっと興を添えるような、声や音楽が流れていた。
 小ぶりではあるが、優美な曲線を描く昔懐かしいラジヲ。時々かすれた声を出すその覚束ない機能に、わたしはどうしようもない感慨を抱かずにはいられない。何処かくぐもったように奏でだすは哀愁のメロディ。無声映画の活動弁士よろしく語る無表情なアナウンス。平成の御世にそんな時代錯誤の浪漫趣味な番組が流れ出すはずもないが、もしかしたら此の摩訶不思議な機械は時空さえも越えてしまうのではないかと云う妄想に囚われる時もある。月夜の晩に、遥か昔の大正や昭和に発信されたメッセージをささやかな電波塔が感知して、螺旋仕掛けの機戒に忍び込むことがあってもいいような気がするのだ。
 生憎と未だそんな幸運に恵まれたことはないが、電波の悪かったわたしの家ではよく韓国語だかロシア語だか分からない言語と日本のパーソナリティの声が混じりあい、異様な不協和音を奏でていることがたびたびあった。 電波が拾えないくせに無理してラジプリ(中学生当時夢中だったテニスの王子様のラジオ番組)を聴こうとしたときなど、声優さんの声より、得体の知れない韓国だか朝鮮だかの放送が勝ってまったく番組の内容が追えず、悔しい思いをした覚えがある。唯一まともに聴ける地元放送局も番組が終了すると、そこにあった空間の壁がすとんと抜け落ちるかのように、様々な局の雑音同士が混ざり合うことがあった。見知らぬ街の喧騒に放り出されたような、モザイクじみた電波と電波の交信。もしかしたらその時、異国の言葉のみならず、時代を超えた声が私の元に迷い込んだことがあったのかもしれない。……と思いを巡らすのはやはり夢見がちな妄想と云うものだろうか?
 高校に上がってからは、地元放送局の番組が殆ど大手のラジオ局にのっとられてしまい、わたしが愛着を持って聴いていた番組たちも次々と姿を消した。FMで深夜零時をまわった頃合に流れ出す、静謐な短編(時にはエッセイや長編を流すこともあったが)朗読の番組も時間が変わり、あまり聴く機会がなくなった。余談だが、中学生だったわたしは此の朗読番組の虜だった。大袈裟な効果音や音楽を交えたラジオシアターとは異なり、無音のなかで滔々と語られる言葉たちが簡素に、時には典雅に、わたしの胸に沁みこんでゆく感覚は未だに忘れることが出来ない。無音の中にもラジヲ独特の、電波の波を漂うような、さあっと潮が引いていくような不思議な沈黙が絶えずその語りの中に流れており、これぞラジヲのあるべき姿なのではないかと、子供ながらにうっとりと聞き入っていたのを覚えている。そして此の朗読番組は後のわたしの創作活動の根本の一つとなった。此の番組のようにしっとりと静かに語られるのが相応しい文章を書きたいと、おこがましくも考えるようになったのである。
 閑話休題。そう云うわけで、高校に入ってからわたしはあまりラジヲを聴くことがなくなった。短くて浅いわたしのラジオ族時代はこうして幕を閉じたのである。全国ネットのラジオ番組は未だに聴き馴れないし、たまに聴き入るのと云ったら例によって『ラジオ深夜便』か、同局のジャズ番組くらいだ。マイノリティ思考の人間が真に安らかに聴ける番組が徐々に減っていくのは非常に嘆かわしい。かつてわたしが夢見た、『ラジヲ』への固定観念はなりを潜め、二度と耳にすることは出来ないのだろうかと思うと残念でならないのだ。
 それでもめげずに、何処か知らない場処へと周波数を合わせるのは、幼いころ思い描いた真夜中の世界への憧れにも似ている。いつか此の機械を通して過去の時間へと遡り、不可思議な夜への切符を手にしたいと未だに願っている。自分でも呆れるほどに浪漫趣味なわたしは、今宵も一人、ひっそりと囁くラジヲの声に耳を傾けるのだった。
















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